金ヶ崎の撤退の知られざる裏舞台

歴史に名を残した仏僧忍者

安土桃山時代において、表向き僧侶でありながら裏では忍者、特に火縄銃の使い手であったという忍者が無数に存在していました。
その中で歴史に名を刻んだ一人が杉谷善住坊です。

鉄砲忍者といえば雑賀であったため、長らく雑賀衆の一人として語られていましたが、近代では甲賀衆であったと言われています。
この杉谷善住坊、類い希なる斥候能力と甲賀衆一とも言われる鉄砲の腕を持ち合わせていました。
そのため、甲賀衆を抱え込んでいた六角家が織田信長暗殺のために放ったと伝えられています。

ヒットマン痛恨の失敗

鉄砲の腕がいいということは、射撃だけでなく、いかにターゲットに接近し、確実なタイミングをものにするかという頭脳もなくてはいけません。
杉谷善住坊が狙ったのは、金ヶ崎からの逃避路。しかも25mという至近距離からでした。
おそらく、この絶好のチャンスで織田信長が絶命していたら歴史は大きく変わっていたでしょう。
ところが、着弾したのは織田信長の着物の袖。ケガ一つ負わなかったという奇跡です。

かなり恐怖を感じたのでしょう。織田信長は岐阜に戻るや杉谷善住坊を探しだし、竹製のノコギリで生きながらに首を切断するという極刑に処しました。