身の回りにあるものはすべて忍の道具

戦国大名は人物より城だった

今でこそ織田信長が戦国大名の中で一番だった、いやいや武田信玄こそが最強だったと語られていますが、その背景には自然と土木技術を上手くミックスさせた築城がありました。
上杉謙信であれば春日城、織田信長は岐阜城、北条氏康は小田原城と居城と名前が一致します。いずれも堅牢な城です。

平地で100対100で戦った場合、練兵もあるでしょうが勝つのは時の運です。
ところが、堅牢な城があれば、50人で数千人に勝つこともできます。実際、そういった戦いの記録が古今東西にあります。
とどのつまり、戦国大名の人物像は半分は幻想で、実のところ城や家臣といった領土を守る存在の方が重要だったのです。

城壁を越えれば勝負が決まった

城下を巡っている郭は武将の戦術で攻略することはできますが、石垣、城門になると力攻めです。
そこで暗躍していたのが忍者です。

彼らは、カマや鍬といった農耕具を使って城壁を削り取り、よじ登り、現代でいうバールのような大きな釘抜きなどを使って城門を打ち破りました。
たとえば、籠城戦で兵糧が残り少なくなったとき、常備している鈎細工を変形させて錠を開けて火を付ければ勝負は決します。
忍者に無駄な道具などないのです。