忍者は化学者としても一流だった!

アクション映画のような跳躍や格闘、くの一であれば男性を虜にする性の秘術などかす知れず。
ところが、歴史を紐解いてみると忍者が化学者としても一流であったことがうかがい知れるのです。

忍者はマジシャンではない

忍術の代表的なものに火術があります。追っ手を煙に巻いたり、一瞬にしてその場を燃やしてみたり。
はっきりいって現実的ではありません。必ずトリックがあるはずです。
それを裏づけるように、忍者と中国の兵法書、そして戦国時代に伝来した火薬や火縄銃を実戦に取り入れたのは戦国武将ではなく忍者でした。
つまり、アニメなどで見る、念じると周囲に火の手があがるというのは化学に基づいたものだったのです。

驚くべき道具の数々

今でこそ可燃物に火を付けることは容易ですし、火薬の素になる材料は精製されて入手できます。
忍者のすごいところは、自然界にある鉱物から火薬の素を精製したり、植物油などで松明を少ない道具と限られた時間の中で作っていたことです。
一言に「火薬」と言っても、ちょっと量を間違えるだけで大爆発してしまいます。それを上手く調節して現代でいう発煙筒や手榴弾を作っていたというのですから驚きです。

納得の忍者の変装トップ3!

僧侶

一言に僧侶と言っても山伏、虚無僧、出家坊などがいます。
虚無僧は深編笠を被った、時代劇などでおなじみの僧侶ですが、現実的に目立ってしまうのであまりポピュラーではなかったでしょう。
山伏とは山で修験している僧侶で、山間の戦場になる場所での諜報活動時に打ってつけでした。うっかり発見されても「霊山にて修行の身でございます」と誤魔化せます。
出家坊は一般的な僧侶の格好をしており、おそらく最も用いられた僧侶の変装でしょう。

商人

安土桃山時代から江戸時代まで、商業の街は限られており、それぞれの豪商が各地に販路を持っていました。
現在のように通販など無い時代ですから、雇われた商人の手によって各地へ売りに歩きました。
ただ、販路、取り扱う品などは商家によって決まっているので、これらを事前に調査しておく必要がありました。

芸人

女性であれば踊子、男性であれば大道芸人などが一般的でした。これも各地を放浪する職業であったため、諜報活動には打ってつけでした。
とはいえ、一つだけでなくいくつもの芸を身につけておかなくてはなりませんでしたから、忍者が忍術以外のことも日頃から鍛錬していたことがうかがえる変装ではあります。

身の回りにあるものはすべて忍の道具

戦国大名は人物より城だった

今でこそ織田信長が戦国大名の中で一番だった、いやいや武田信玄こそが最強だったと語られていますが、その背景には自然と土木技術を上手くミックスさせた築城がありました。
上杉謙信であれば春日城、織田信長は岐阜城、北条氏康は小田原城と居城と名前が一致します。いずれも堅牢な城です。

平地で100対100で戦った場合、練兵もあるでしょうが勝つのは時の運です。
ところが、堅牢な城があれば、50人で数千人に勝つこともできます。実際、そういった戦いの記録が古今東西にあります。
とどのつまり、戦国大名の人物像は半分は幻想で、実のところ城や家臣といった領土を守る存在の方が重要だったのです。

城壁を越えれば勝負が決まった

城下を巡っている郭は武将の戦術で攻略することはできますが、石垣、城門になると力攻めです。
そこで暗躍していたのが忍者です。

彼らは、カマや鍬といった農耕具を使って城壁を削り取り、よじ登り、現代でいうバールのような大きな釘抜きなどを使って城門を打ち破りました。
たとえば、籠城戦で兵糧が残り少なくなったとき、常備している鈎細工を変形させて錠を開けて火を付ければ勝負は決します。
忍者に無駄な道具などないのです。

意外と知られていない手裏剣の使い方

星形の手裏剣は猫だまし?

手裏剣と一言に言ってもいくつか種類があります。おそらく、一般的には星形の薄いものでしょう。
しかし、その手裏剣はあまり使われることはなかったのです。
というのも、いくら薄く作っても数ミリの厚さがあります。それを数十枚持ち歩くのは現実的ではありません。

星形手裏剣の主な使い方は、逃走時に敵へ投げつける、捕らえようとする相手を絶命させるためのものでした。
特に猫だましのように勢いよく投げつけることがほとんどだったと言われています。

棒手裏剣こそ本当の手裏剣

映画、ゲーム、アニメなどで忍者が短刀を武器にしているシーンを見ますが、あれは嘘です。
何故なら、刀は一度使うと歯が欠けてしまいますし、相手を刺す、切る以外使い方が無いからです。
そのため、忍者は同じくらいの棒状になった手裏剣を用いていました。

棒と言ってもまるっきり棒ではなく、太い釘か細い鉈だとイメージしてください。
これなら、刺してよし、切ってよし、投げてよしなのですから。また、トリカブトの毒を塗るなど、軽い切り傷でも相手を絶命させることができるような形状でもありました。
勿論、相手が絶命する前に自分が殺されてしまいますが、任務の内容を口外してはいけないことが忍者の掟なのですから仕方ありません。

なぜ忍者は黒装束の姿なのか?

忍者は昼間どうしているのか?

忍者が黒装束をまとっている理由は、シンプルに暗闇に紛れるためです。なので、映画で白装束の忍者が登場するのは不自然なのです。
では、昼間はどうなのかというと、さすがに黒装束はまとっていません。
任務を遂行するのは主に夜ですが、昼間は情報収集などに勤しんでいました。時に商人であったり、時に農民であったり。

装束に隠された三つの秘密

忍者の服装がユニークなのは、顔全体を覆う頭巾、体に密着した着物、しっかりと結束された足袋である点です。
これらにも勿論理由があり、まず頭巾については顔を隠すことは勿論、緊急時のロープとして、または止血のための包帯として使うため2mもある布きれを頭巾にしていたそうです。
また、時代劇で忍者の頭目がよく被っている兜のような頭巾は、内側に面が縫い込まれていました。甲冑にはおよびませんが、頭部をまもるためだったと言われています。

次に体に密着した着物ですが、これもシンプルに風の抵抗を軽減、障害物を避けやすくするためです。
そして、足下ですが、現在で言うテーピングのように巻かれていました。これは瞬発力を上げるためだけでなく、不意なケガでも歩いて移動できるように考えられていたからだと言います。

忍者にとって鎖鎌の武器とは?

素人の私たちからしたら「そんなの持って重くない?」とツッコミを入れた貴方は忍者になれるかも知れません。何故なら、本当に忍者は鎖鎌を携行していなかったからです。

鎖鎌が活躍できたシーン

身軽でなければ任務を遂行できない忍者にとって、忍術や罠で相手を仕留められないときの戦いは至近距離でした。
そのための体術の鍛錬だったわけですが、要人などを暗殺する場合、どうやっても近づけない場合があります。そういった時に用いられていたと言われています。
ただ、鉄砲伝来により、鎖鎌の使い手より鉄砲使いの忍者の方が増えていきました。

なぜ鎌でなくてはならなかったのか?

鎖鎌は忍者にとって基本的な武器の一つである鎌に鎖と分銅をつけたものです。
では、どうして鎌が基本的な武器だったのでしょうか?もっと殺傷力のある武器を思いつくこともできたはずです。

安土桃山時代から江戸時代にかけて、忍者は農民に扮して諜報活動を行い、夜になると黒装束で暗躍していました。
もし、あらかじめ刀などを自宅に隠していたら、バレてしまうかも知れません。当時の刀とは、現在でいう拳銃のようなもので、職人が作ったものを購入するということは身元が判明することでもあったのです。
そこで使われるようになったのが鎌です。

鎌なら相手の首を掻き切ることもできますし、トンネルを掘る際の道具などにも利用できました。
いつでもどこでもどなたでも手に入る。それゆえに鎌だったのです。