謎だらけの忍者らしい忍者

忍者は素性を明らかにしませんが、歴史に名前を残している者は必ず「○○衆」といったグループに属しています。
ところが、それすら曖昧で、また、仕えた大名も変えるというユニークな忍者がいます。戦国時代において裏切りは自分だけでなく属するグループの存亡が危うくなりますから、タブー中のタブーです。
この加藤段蔵という忍者、どのような経歴があるのでしょうか?

出る杭は打たれるは忍者も同じ

一説に加藤段蔵は伊賀衆だったと言われていますが定かではありません。常陸の国に生まれたということだけは判っているようです。
人一倍の身体能力を誇り、幻術にも精通していたそうで、まずは上杉謙信に仕官します。

上杉謙信は当時、北条氏康と敵対しており、そこで見事な諜報活動を行ったとされています。北条家には風間小太郎というこれもまた天才的な忍者がいましたから、並大抵の能力ではなかったと思われます。
ところが、それが仇になり、上杉謙信は「裏切るのではないか?」と猜疑心を覚え、加藤段蔵を処刑しようとします。出る杭は打たれるということですね。
それを察知した加藤段蔵は上杉謙信の下を離れます。

不可解な転職活動

難を逃れた加藤段蔵は、新たな大名に仕官します。
ここで考えられるのは、上杉謙信と同盟を結んでいない、そして、敵対もしていない大名への仕官です。
ところが、大胆なことに武田信玄へ仕官を申し出ます。通常、敵対している大名に仕えていた忍者が仕官してくるということは非常に警戒すべきことなのですが、「飛び加藤」の異名を持つ加藤段蔵を高く評価していた武田信玄は喜んで迎え入れます。

ここまでは思惑通りだったのでしょうが、面会の場へ案内されていく途中で斬り殺されてしまいます。

金ヶ崎の撤退の知られざる裏舞台

歴史に名を残した仏僧忍者

安土桃山時代において、表向き僧侶でありながら裏では忍者、特に火縄銃の使い手であったという忍者が無数に存在していました。
その中で歴史に名を刻んだ一人が杉谷善住坊です。

鉄砲忍者といえば雑賀であったため、長らく雑賀衆の一人として語られていましたが、近代では甲賀衆であったと言われています。
この杉谷善住坊、類い希なる斥候能力と甲賀衆一とも言われる鉄砲の腕を持ち合わせていました。
そのため、甲賀衆を抱え込んでいた六角家が織田信長暗殺のために放ったと伝えられています。

ヒットマン痛恨の失敗

鉄砲の腕がいいということは、射撃だけでなく、いかにターゲットに接近し、確実なタイミングをものにするかという頭脳もなくてはいけません。
杉谷善住坊が狙ったのは、金ヶ崎からの逃避路。しかも25mという至近距離からでした。
おそらく、この絶好のチャンスで織田信長が絶命していたら歴史は大きく変わっていたでしょう。
ところが、着弾したのは織田信長の着物の袖。ケガ一つ負わなかったという奇跡です。

かなり恐怖を感じたのでしょう。織田信長は岐阜に戻るや杉谷善住坊を探しだし、竹製のノコギリで生きながらに首を切断するという極刑に処しました。